• 2018年11月11日 橋本忍生誕100年記念シネマシナリオフェスティバル シンポジウム 全編

    平成30年11月11日 橋本忍生誕100年記念シネマシナリオフェスティバル シンポジウム「理不尽への怒りと狂気に至る世界~橋本忍脚本の魅力と影響力~」の内容を全編公開致します。 パネリスト 中島丈博(脚本家) 高橋信裕(博物館学、高知みらい科学館館長、元文化環境研究所所長、元常磐大学教授) 渡辺紘文(映画監督) 榎田竜路(メディアプロデューサー、(合)アースボイスプロジェクト代表社員) 司会:石飛徳樹(朝日新聞記者、映画評論家) *敬称略、順不同 場所:市川町文化センターひまわりホール(兵庫県市川町)

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  • 2018年11月11日 橋本忍生誕100年記念シネマシナリオフェスティバル 基調講演 全編

    平成30年11月11日 橋本忍生誕100年記念シネマシナリオフェスティバル 脚本家中島丈博氏による基調講演「追い詰められて鬼となれ」の内容を前編公開致します。 講師:中島丈博氏(脚本家) 場所:市川町文化センターひまわりホール(兵庫県市川町)

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  • 【橋本忍生誕100年記念事業 シネマシナリオフェスティバル関連事業「夏休み子供ポスター制作講座」作品展開催中】

    シンポジウムのほか、会場である市川町文化センターにて、関連事業として開催した 「夏休み子供ポスター制作講座」の作品が展示されています。

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橋本忍シネマシナリオフェスティバルシンポジウム

日時:平成30年11月11日(日)

午後1:00開場 午後1:30開演

(午後4:10頃終演予定。途中休憩あり)

  • 基調講演

「追い詰められて鬼となれ」
講師:中島丈博(脚本家)

  • シンポジウム

「理不尽への怒りと狂気に至る世界 ~橋本忍脚本の魅力と影響力~」

橋本忍の人や作品にまつわる様々なエピソード、制作の裏話などを、同氏ゆかりの脚本家や映画関係者などに語っていただきます。
同時に、次の100年に想いを馳せ、「橋本レガシー」が若い世代の映画関係者や、地域社会の創生・再生にどのように継承され、影響を与えていくのかを、気鋭の映画監督や地域創生に携わる専門家も交えて検証します。

  • 料金:無料(定員500名)
  • 場所:市川町文化センター ひまわりホール
  • お問い合わせ:橋本忍生誕100年記念事業実行委員会事務局

(合同会社アースボイスプロジェクト内)
Tel. 0467-24-1740
・市川町役場 地域振興課
Tel:0790-26-1015 Fax:0790-26-3121

  • 主催:兵庫県市川町(橋本忍生誕100年記念事業実行委員会)(企画制作:合同会社アースボイスプロジェクト)
  • 共催:橋本忍記念館
  • 後援:日本シナリオ作家協会、兵庫県、神戸新聞
  • パネリスト:
  • 中島丈博(脚本家)
  • 高橋信裕(博物館学、高知みらい科学館館長、元文化環境研究所所長、元常磐大学教授)
  • 渡辺紘文(映画監督)
  • 榎田竜路(メディアプロデューサー、(合)アースボイスプロジェクト代表社員)
  • 司会:石飛徳樹(朝日新聞記者、映画評論家)
*敬称略、順不同
<遠方からいらっしゃる方へ>
ご参考までに電車の時刻表を掲載いたします。詳細はこちらから
(2018年9月20日現在。実際にお越しになる際には、必ずご自身で最新の情報をご確認くださいますようお願いいたします)

人材育成「夏休みポスター制作講座」

For Our Future 〜物語が生まれる町、市川町〜

日時:平成30年 8月20日・21日・22日

午後1:30~午後4:00

人間や社会に深く切り込んでいった橋本忍の作品に、多大な影響を与えた故郷、市川町。本講座は、「物語を生み出す力」を養うことにより、未来を担う子どもたちに市川町の魅力を発見し、発信してもらうことをねらいとしています。 いつも見ている風景でも、ファインダーを通してみれば驚くほど美しいことがわかります。よく知っている近所の大人の話も、取材技術を身につければ、含蓄の深い人生のしるべとなります。 映画の絵コンテの技法を応用し、身近な人、モノ、コトを取材、新たな価値を見つけ、写真と言葉を組み合わせたポスターを制作していただきます。

  • 場所:市川町役場 4階 相談室
  • 対象・定員:小学5年生~高校生・15名(定員になり次第締め切り)
  • 持ち物:筆記用具、デジタルカメラ(できればデジタル一眼レフカメラ)
  • 内容:効果的な写真の撮り方とインタビューの方法を学べます。そのあと、町内の風景や人、風物を撮影し、写真と文字を組み合わせたポスターを制作します。
  • お申込み:申込書に記入の上、8月17日までにお申し込みください。
メールでのお申込みも可能です。
  • お申込み・お問い合わせ:市川町役場 地域振興課
  • 電話:0790-26-1015 FAX:0790-26-3121
  • 住所:〒679-2392 市川町西川辺165-3

*子供達が制作したポスターは、「橋本忍生誕100年記念 シネマシナリオフェスティバル」にて展示します。 <『未来の市川町へ(仮)』ポスター展> 日時:平成30年11月11日(日) 場所:市川町文化センター

橋本忍生誕100年記念展

日時:平成30年8月22日(水)~26日(日)

午前9:00~午後5:00

  • 場所:市川町文化センター コミュニティーホール
  • 料金:入場無料
  • お問い合わせ:市川町文化センター管理事務所 ℡0790-26-0969

橋本忍生誕100年記念映画祭

日時:平成30年8月25日(土)

「砂の器」「八甲田山」「私は貝になりたい(新)」無料上映
  • 場所:市川町文化センター ひまわりホール
  • 料金:無料(各回、定員500名)
  • お問い合わせ:市川町文化センター管理事務所  Tel.0790-26-0969
橋本忍記念館ホームページ
兵庫県市川町は、豊かな水量と様々な表情を見せる市川を中心に古くから交通の要所として栄えてきました。1918年に市川町で誕生した脚本家、橋本忍は、故郷の記憶をこのように語っています。 「自分の作品のすべては、子供のとき、郷里・市川の川の流れを仰向きに泳いで流されながら、見上げた空の雲、その様々な雲の形の中にすべてがある。」 人間の奥深くに潜む本性をえぐり出し、時に鮮やかに、時に残酷に人間社会のありようを描いてきた橋本作品は、市川町の雲の形のように多様な変化を見せ、常に日本の映画界を牽引し、世界中に感動を与えてきました。 市川町では、橋本忍生誕100年を記念し、その世界に名だたる作品と人物を讃え、 追悼の意を込めつつ、未来に繋げるための記念事業を展開します。

◆ ◆ ◆

橋本忍氏が2018年7月19日に逝去され、出身地である市川町としては誠に痛恨の極みであります。 市川町民を代表して、心から哀悼の意を表するしだいです。 シナリオライターとして数々の功績を残された橋本忍氏を讃え、2000年4月市川町文化センターに橋本忍記念館を併設しオープンしました。2018年4月18日に100歳を迎えられたことを記念し、その功績を讃え、「橋本忍生誕100年記念事業」を計画いたしました。 橋本忍氏にも亡くなられる間際までこの事業にご協力いただいておりましたので、非常に残念でなりません。 この事業により橋本忍氏の功績が未来へと繋がり、新たな物語が生み出されていくことを期待いたします。

2018年7月20日 市川町長 岩見武三

  • 少年時代。弟・福助とともに。
  • 鉄道員時代。
    この頃はまだシナリオに出会っていなかった。
  • 軍隊に入隊した頃。
    その後の闘病生活中にシナリオを知り、
    脚本家を志すこととなった。
(はしもと しのぶ、1918年4月18日- 2018年7月19日) 1918年4月18日、兵庫県神崎郡鶴居村鶴居(現在の市川町鶴居)に生まれる。家業は小料理屋で、芝居好きの父親から影響を受ける。大鉄教習所卒業後、国鉄に勤務。 1938年に徴兵され鳥取の連隊に入隊するが、軍隊生活中に粟粒性結核にかかり、療養生活に入る。療養所にて隣の兵士に『日本映画』という映画雑誌を勧められ、脚本に興味を持つきっかけとなる。 1942年、療養所を退所して帰郷後に執筆した脚本『山の兵隊』を伊丹万作氏に送ったところ、思いがけず返信があり、以降、姫路市の軍需会社に勤務しながら、同氏の「唯一の脚本家としての弟子」として師事。 1949年、サラリーマン生活のかたわら、芥川龍之介の短編小説『藪の中』をシナリオ化。その後、同作品が黒澤明監督の手に渡り、映画化を打診される。黒澤監督との共同執筆により1950年、『羅生門』として映画化、デビューを果たす。 ヴェネチア国際映画祭獅子賞を受賞し、日本映画として初めて国際映画祭でグランプリを獲得。 以後、『生きる』『七人の侍』『悪い奴ほど良く眠る』等で、黒澤明監督とともにシナリオの共同執筆に携わり、脚本家として地歩を固めた。 一方で、1958年、KRT(現・TBS)の芸術祭参加ドラマ『私は貝になりたい』の脚本を手がけ芸術祭賞を受賞。翌1959年自身が監督して映画化し、監督デビューも果たす。 1973年、それまで配給会社主導で行われていた映画制作の新しい可能性に挑戦するため、「橋本プロダクション」を設立、映画界に新風を吹き込む。1974年に第1作として山田洋次との共同脚本で『砂の器』(監督:野村芳太郎)を製作、興行的にも大成功をおさめ、その年の映画賞を総なめにした。 続いて1977年に、『八甲田山』(森谷司郎監督)を発表、当時の配給記録新記録を打ち立てる大ヒットとなる。わずか3ヵ月後に松竹で公開された『八つ墓村』(脚本担当)もこれに迫る数字をはじき出し、不動の地位を築く。前出の『砂の器』はじめ、裁判で係争中の事件を扱った『真昼の暗黒』(監督:今井正)、『張込み』 (監督:野村芳太郎)等に代表される松本清張作品の映画化、『白い巨塔』(監督:山本薩夫)、『切腹』(監督:小林正樹)、『日本のいちばん長い日』(監督:岡本喜八)、『日本沈没』 (監督:森谷司郎)など、常に映画史上に残る名作・話題作を手掛け、日本映画の黄金期を築く。 2008年に中居正広主演でリメイクされることになった劇場版『私は貝になりたい』で、自らの脚本をリライトした。脚本の完成度の高さ、そのスタンスから同業者に最も尊敬されている脚本家のひとりであり、その影響は日本にとどまらず、世界中の製作者にも影響を与え続けている。 2000年、故郷である兵庫県市川町に「橋本忍記念館」がオープン。橋本作品の全てが集約されており、脚本家の記念館として注目を集めている。 2018年7月19日9時26分、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去。

橋本 忍 作品一覧

著作: 「複眼の映像」英語版 脚本・監督作品: https://www.town.ichikawa.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=16339#3_0 (橋本忍記念館ウェブサイト 作品リストへ)
受賞歴: 「複眼の映像―私と黒澤明」
  • 1950年(昭和25年)ブルーリボン賞脚本賞
  • 1951年(昭和26年)ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞(作品賞)
  • アカデミー賞最優秀外国語映画賞(作品賞)
「生きる」
  • 1952年(昭和27年)毎日映画コンクール日本映画大賞、脚本賞
  • 1954年(昭和29年)ベルリン国際映画祭銀熊賞(作品賞)
「真昼の暗黒」
  • 1956年(昭和31年)毎日映画コンクール日本映画大賞、脚本賞
  • ブルーリボン賞 作品賞・脚本賞
  • 1957年(昭和32年)世界青年学生平和友好祭
  • (モスクワ)フィルム・フェスティバル金賞(作品賞)
「隠し砦の三悪人」
  • 1958年(昭和33年)キネマ旬報賞脚本賞
  • 1959年(昭和34年)ベルリン国際映画祭国際映画批評家連盟賞(作品賞)
「張込み」「鰯雲」他
  • 1958年(昭和33年)毎日映画コンクール脚本賞、ブルーリボン賞脚本賞
「黒い画集」
  • 1960年(昭和35年)キネマ旬報賞脚本賞
  • 毎日映画コンクール脚本賞
「悪いやつほどよく眠る」
  • 1960年(昭和35年)キネマ旬報賞
「いろはにほへと」
  • 1960年(昭和35年)毎日映画コンクール脚本賞
「切腹」
  • 1962年(昭和37年)ブルーリボン賞脚本賞
  • 1963年(昭和38年)カンヌ国際映画祭審査員特別賞(作品賞)
「白い巨塔」
  • 1966年(昭和41年)キネマ旬報賞脚本賞
  • 毎日映画コンクール脚本賞
  • ブルーリボン賞脚本賞
  • 1967年(昭和42年)モスクワ国際映画祭銀メダル賞(作品賞)
「上意討ち」
  • 1967年(昭和42年)キネマ旬報賞脚本賞
  • ヴェネチア国際映画祭国際映画批評家連盟賞(作品賞)
「日本のいちばん長い日」
  • 1967年(昭和42年)キネマ旬報賞脚本賞
「砂の器」
  • 1974年(昭和49年)キネマ旬報賞脚本賞
  • 毎日映画コンクール脚本賞
「八甲田山」
  • 1977年(昭和52年)日本興行新記録達成
  • その他
  • 1977年(昭和52年) 日本映画テレビプロデューサー協会賞(特別賞)
  • 1991年(平成9年) 勲四等旭日小綬章
  • NHK特別賞シナリオ功労賞
  • 1997年(平成9年) 日本映画批評家大賞プラチナ大賞
  • 2007年(平成19年) 山路ふみ子賞映画功労賞
  • 2013年(平成25年) 米国脚本家組合賞ジャン・ルノアール賞

市川町について

兵庫県中央部に位置する市川町。 岡部川、小畑川、振古川、甲良川、そして市川。豊かな水源と低山が作った穏やかな地形には田畑が広がり、昔ながらの長閑な風景が美しい町です。 古くから農業で栄え、渡し舟による人の往来や交易が盛んで、川とともに歴史を刻んできた地域でもありました。 715年に完成したとされ、日本最古の風土記といわれる「播磨国風土記(はりまのくにふどき)」には、勢賀(現在の市川町瀬加)で、応神天皇が狩りをした場所と記載されています。 岩戸神社、笠形神社などの寺社仏閣や、樹齢850年を超えると言われる夫婦杉を有する笠形山など、歴史を感じる神秘的な場所も多く、豊穣を願った人々の想いが今も受け継がれています。 橋本忍の生家のそばを流れる市川には屋形橋がかかっており、橋のなかった昔は渡し舟で賑わった場所でした。橋ができてからも、地域の人たちにとっては象徴的な場所であり続け、まさに人の行き交う架け橋としての役割を担ってきました。 現在でも、市川町にはカフェや喫茶店など家の外でおしゃべりを楽しむ文化があり、日頃から地域でのコミュニケーションを大切にしていることが伺えます。また、近年、有機農業などを目指して移住してくる若者も増えており、伝統を大切にしながらも新しい風を受け入れる柔軟さと温かさが感じられます。

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